2014年01月03日

虚栄のかがり火 / The Bonfire of the Vanities - 映画の記憶



年明けに何かテーマを決めて決めて映画を視たいと思い、懐かしさもあって、ちょうど私の大学生時代、80年代公開のものをまとめて視聴しました。そのうちの一本です。

「虚栄のかがり火」

この邦題は 原題:"The Bonfire of the Vanities" の直訳になってますすが、しっくりはまったいいタイトルです。

まさにこの年代を象徴するようなストーリーです。こういうコメディが最近ないのは寂しいかぎりです。

メラニー・グリフィスは私の好きな女優の筆頭と言ってもいいくらい。
なんと言っても声がすてき。どんなに悪役でも許してしまいそう。それなりにスタイルもいいのに、ねっとりとしたウェットな色気がないところもいいですね。

この映画は、出演者も、トム・ハンクス、ブルース・ウィルス、モーガン・フリーマンと超豪華。
きっと当時はそんな風には思っていなかったんだろうな。

ウォール街のエリートトレーダー、シャーマン・マッコイ(トム・ハンクス)が、妻に内緒で、不倫相手の人妻マリア(メラニー・グリフィス)を空港に迎えにいく。密会の場のアパートに向かう途中、ブロンクスに迷い込んでしまいます。

ブロンクスは、マンハッタンの北東に位置する、ヒップホップ誕生の地。国籍入り乱れた住民も多く、当時、かなり治安が悪かったと思われます。

案の定黒人の若者2人にからまれ、逃げようとしたときにひとりをはねてしまいます。運転していたのはマリア。

この事件がきっかけで、かねてからくすぶっていた人権問題に火がついて宗教指導者のベーコン牧師(ジョン・ハンコック)を筆頭に、地域の黒人が団結して運動を起こします。
悪い人はいるもので、ここに目をつけた地方検事のエイブ・ワイス(F・マーリー・エイブラハム)は、自分の市長選に利用しようとします。この事件を告発することで、白人を敵にまわし、ブロンクス住民の表を獲得しようとしたのです。

アル中で冴えない新聞記者のピーター・ファロー(ブルース・ウィルス)は、あるきっかけでこの事件を知り、記事を新聞に投稿します。一面を飾った記事は瞬く間に話題となり、人生の絶頂だったシャーマンは容疑者として逮捕され、その日を境に、転落の道へと転がり落ちます。
逆に、体たらくだったピーターの生活は一転して華やかな方向に向かいます。

人生は虚栄をもってしまったら、滅びるのも早い。はたまた、どんなに成功しても謙虚に生きることを怠ると、いろいろな災難が起こりますよ、というストーリーになってます。

この作品はそういった教訓っぽいものを含む一方、もうひとつ、強烈に感じることがあります。

地域社会と家族の絆の大切さです。

ブロンクスは黒人街ゆえに団結し、それが正義であれ悪であれ、対立する白人社会を攻撃します。

家族は、ちょっとした出来心からの不倫や浮気でもろくも崩れる夫婦がある反面、親子は限りなく太い絆で結ばれているという事実が、この映画にある隠れたメッセージのような気がします。

それは、妻に三行半、信じていた愛人のマリアには、その奔放さゆえに、あっさりうらぎられて自暴自棄になったシャーマンに父親(ドナルド・モファット)が声をかけるシーンに現れています。

厳格な父がてっきり説教をしに来たと思ったシャーマンは、

「僕の仕事も服装も生き方も金も、気に入らないんだろ?そんなことを言いに、わざわざ」
「説教なんてまっぴらだ!」

と、半ばやけになり突っ掛かる。そんなシャーマンに父親は、言いだしにくそうに、容疑者となった息子に語る

「わたしも母さんも、お前を助けたい」

「お前はわたしたの息子だ、だから言いにきた」

「おまえを愛してる。母さんもわたしも」

犯罪という特殊な状態におかれてはいるが、どこにの家族にもある息子の反発に、父親が無条件の愛を愛を告白している。

そして、裁判所の判事レオナルド・ホワイト(モーガン・フリーマン)は、判決に不服で「正義はどこにいった」とザワつき荒れる法廷内に、

「静粛にして、座れ!」
「よく考えるがいい、皮膚の色に何の関係がある」
「法廷で偽証する証人、そういう証人を法廷に引き出す検察、政治的野望のために人間をエサのように大衆に投げ与える検事、自己の利益を狙う恥ずべき聖職者」

「それが正義か?」

「正義とは法だ」

「法とは人間の節度の原則を定めようという、ささやかな努力だ」
「節度、それは取り引きでも金儲けでも人をだますペテンでもない」

「節度、、それは、おばあさんから教わるものだ」

「そして、君らの心の一部だ」
「さあ、帰るんだ。帰って節度のある人間になれ。節度のある人間に」


節度 - Decency と言うワードを何度も繰り返し、あたかも説法のように地域、家族の結びつきの大切さをを発したエンディング、これは今の日本にも当てはまっていると思います。
いじめ、暴力、学校での体罰問題や希薄になったご近所関係、どれをとっても Decencyの欠如が根底にあるのではないでしょうか。そこに、この映画の隠れたメッセージがあるように思います。

視終わったあと、「モーガン・フリーマンに直で怒られたい」とさえ感じました。

それにしても、トム・ハンクスもモーガン・フリーマンも若い。なによりブルース・ウィルスの髪がフサフサしているのに感動しました。





posted by Kay at 13:17| Comment(0) | 映画の記憶 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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